英賀城址と司馬遼太郎
2013年04月23日
黒田官兵衛ゆかりの地めぐり
第四回目は英賀城(あがじょうあと)址です。
司馬遼太郎の
歴史小説・播磨灘物語では、
官兵衛が巧みな戦術で、
英賀の港に上陸した毛利軍五千を、
わずか千の手勢でこれを撃退する場面が描かれています。
その後英賀城は、
官兵衛を中心とした羽柴秀吉の大軍に
1580年(天正8年)攻め落とされ
当時を忍ぶ遺構はほとんど残っていません。
・英賀神社
・英賀神社に残る土塁跡
英賀城跡高公園に残る石碑には
「野中口(城門)は本石碑より東方30mあたり」
と書かれています。
・石碑
・この辺りに英賀城の城門があったのでしょうか?
この戦いの中で城に籠もった
英賀衆の子孫の1人が司馬遼太郎で
英賀神社の境内には播磨灘物語の文学碑
姫路文学館南館には司馬遼太郎のコーナーが
あります。
・播磨灘物語の文学碑
・姫路文学館南館
第四回目は英賀城(あがじょうあと)址です。
司馬遼太郎の
歴史小説・播磨灘物語では、
官兵衛が巧みな戦術で、
英賀の港に上陸した毛利軍五千を、
わずか千の手勢でこれを撃退する場面が描かれています。
その後英賀城は、
官兵衛を中心とした羽柴秀吉の大軍に
1580年(天正8年)攻め落とされ
当時を忍ぶ遺構はほとんど残っていません。
・英賀神社
・英賀神社に残る土塁跡
英賀城跡高公園に残る石碑には
「野中口(城門)は本石碑より東方30mあたり」
と書かれています。
・石碑
・この辺りに英賀城の城門があったのでしょうか?
この戦いの中で城に籠もった
英賀衆の子孫の1人が司馬遼太郎で
英賀神社の境内には播磨灘物語の文学碑
姫路文学館南館には司馬遼太郎のコーナーが
あります。
・播磨灘物語の文学碑
・姫路文学館南館
Posted by ほりほり at 08:12│Comments(1)
│黒田官兵衛
この記事へのコメント
いまになってわかりましたが姫路でなぜトライボロジーがもりあがっているのか。
Posted by 潤滑油関係 at 2022年03月15日 11:08