御着城址
2013年04月09日
2014年大河ドラマでは
姫路出身の武将・黒田官兵衛を主人公にした
「軍師官兵衛」が放送されます。
そこで、官兵衛ゆかりの地を何回かに分けて
ご紹介したいと思います。
第一回目は御着城(ごちゃくじょう)址です。
御着城は西播磨の領主・小寺家のお城でした。
官兵衛は若い頃から
小寺家の家老としてその才能を発揮しました。
・お城風の建物は市役所東出張所・公民館。
・黒田官兵衛顕彰碑があります。
その一画には
祖父重隆と母いわを祀る廟所もあります。
・本丸跡の西側にあります。
・祖父重隆(左)と母明石(右)の五輪塔
・天川橋
姫路藩が文政11年(1828)に架橋した橋を今の場所に移設。
地形中央部の低いところは御着城の堀がありました。
(写真はありませんが)
市役所東出張所の東側のグランドは
二の丸跡だそうです。
小寺氏は官兵衛の進言もあり
当初は織田信長につきましたが
その後、毛利方に寝返ったため
羽柴秀吉の播磨侵攻により
御着城は天正7年(1579年)に落城しました。
国道2号線を南に渡ったところに
小寺一族を祀る小寺大明神があります。
・陸橋の旗が官兵衛ゆかりの地をアピールしています。
・小寺大明神。
姫路出身の武将・黒田官兵衛を主人公にした
「軍師官兵衛」が放送されます。
そこで、官兵衛ゆかりの地を何回かに分けて
ご紹介したいと思います。
第一回目は御着城(ごちゃくじょう)址です。
御着城は西播磨の領主・小寺家のお城でした。
官兵衛は若い頃から
小寺家の家老としてその才能を発揮しました。
・お城風の建物は市役所東出張所・公民館。
・黒田官兵衛顕彰碑があります。
その一画には
祖父重隆と母いわを祀る廟所もあります。
・本丸跡の西側にあります。
・祖父重隆(左)と母明石(右)の五輪塔
・天川橋
姫路藩が文政11年(1828)に架橋した橋を今の場所に移設。
地形中央部の低いところは御着城の堀がありました。
(写真はありませんが)
市役所東出張所の東側のグランドは
二の丸跡だそうです。
小寺氏は官兵衛の進言もあり
当初は織田信長につきましたが
その後、毛利方に寝返ったため
羽柴秀吉の播磨侵攻により
御着城は天正7年(1579年)に落城しました。
国道2号線を南に渡ったところに
小寺一族を祀る小寺大明神があります。
・陸橋の旗が官兵衛ゆかりの地をアピールしています。
・小寺大明神。
Posted by ほりほり at 06:36│Comments(0)
│黒田官兵衛