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プロフィール
ほりほり
堀田周郎(ほりたのりお)。
昭和33年・姫路市生まれ。血液型B型。仕事は市内で手作りハムの製造・販売を行っています。

趣味は、昔はスキーや油絵、映画鑑賞と色々あったのですが、最近は散歩ぐらいになってしまいました。
このてんこもりブログでは、そんな散歩の途中で見つけた、姫路の隠れた魅力を中心にご紹介していければ・・・と思っています。

英賀城址と司馬遼太郎

2013年04月23日

黒田官兵衛ゆかりの地めぐり
第四回目は英賀城(あがじょうあと)址です。



司馬遼太郎の
歴史小説・播磨灘物語では、

官兵衛が巧みな戦術で、
英賀の港に上陸した毛利軍五千を、
わずか千の手勢でこれを撃退する場面が描かれています。


その後英賀城は、
官兵衛を中心とした羽柴秀吉の大軍に
1580年(天正8年)攻め落とされ
当時を忍ぶ遺構はほとんど残っていません。



・英賀神社



・英賀神社に残る土塁跡



英賀城跡高公園に残る石碑には

 「野中口(城門)は本石碑より東方30mあたり」

と書かれています。



・石碑



・この辺りに英賀城の城門があったのでしょうか?



この戦いの中で城に籠もった
英賀衆の子孫の1人が司馬遼太郎で

英賀神社の境内には播磨灘物語の文学碑
姫路文学館南館には司馬遼太郎のコーナーが
あります。



・播磨灘物語の文学碑



・姫路文学館南館  


Posted by ほりほり at 08:12Comments(0)黒田官兵衛

広峰神社と御師屋敷跡

2013年04月14日

黒田官兵衛ゆかりの地めぐり
第三回目は広峰神社(ひろみねじんじゃ)です。


広峰神社



広峯神社は
京都祇園の八坂神社の本社とも言われ、
古い歴史と由緒を誇っています。


司馬遼太郎の
歴史小説・播磨灘物語では、

官兵衛の祖父重隆が
備前福岡から
播州に流れてきた際、
家族で身を寄せていた家の勧めで
登ったとあります。


広峰神社鳥居
・鳥居


隋神門
・隋神門



拝殿・本殿は格式の高さを感じさせられます。

書写山円教寺、家島と並ぶ
姫路のパワースポットです。


・拝殿 重要文化財<国指定>



・裏から見た本殿 重要文化財<国指定>



境内には黒田官兵衛物語の
看板もあります。(^^


・看板



官兵衛の祖父重隆は
広峰神社の御師(おし)の家に寄宿し、
神符(おふだ)とともに家伝の目薬を売り歩き財を成し、

小寺氏の家臣となり、姫路城の城代にまで
頭角を現したとされています。


ちなみに、御師(おし)とは、
特定の寺社に所属して、
その社寺へ参詣者を案内し、
参拝・宿泊などの世話をする者のことで、
神社の神符や暦を売り歩いて
生計を立てていました。

広峰神社周辺にも最盛期は
御師の屋敷が150軒近く
あったそうですが、現在人が住んでいるのは
1軒のみだそうです。


・旧参道(御師の屋敷跡)
  続きを読む


Posted by ほりほり at 09:53Comments(2)黒田官兵衛

妻鹿城址

2013年04月11日

黒田官兵衛ゆかりの地めぐり
第二回目は妻鹿城(めがじょう)です。


山陽電鉄妻鹿駅の北。甲山(こうやま)の山上に
妻鹿城(めがじょう)の城址が残っています。


甲山
・甲山


荒神社
・荒神社


妻鹿城址 石碑
・妻鹿城址 石碑




天正8年(1580)
三木城を陥落させた羽柴秀吉に対し、

 「姫路こそ中国の毛利攻めの根拠地にふさわしい」

と、自らの居城・姫路城を譲り渡した
官兵衛と父職隆はこの妻鹿城に移り住みました。



ちなみに妻鹿城は別名を
国府山城(こうざんじょう)、
功山城(こうやまじょう)
袴垂城(はかまたれじょう)とも呼ばれてますが


 山陽電鉄妻鹿駅にあった看板は「国府山城」

 荒神社内にある石碑は「妻鹿城」

 荒神社内にある案内看板は「功山城」


とばらばらの表記となっていました。


国府山城
・山陽電鉄妻鹿駅の看板


功山城
・荒神社内の案内看板



荒神社の階段を登った
社の手前右手に登山口はあります。

荒神社






道には枯れ葉が積もっていて滑りやすいので
注意が必要です。





15分ほど歩くと主郭に到着。

ここからは、姫路市内が一望できます。



・主郭(城の中核となる曲輪)



・播磨灘と姫路南部(浜手)。



・市川と姫路市中心部



・姫路城(左の四角い建物)と広峰山(右の山)



ここの風景を見ながら
官兵衛は何を考えていたのでしょうか?

 想像力が膨らみます。



案内看板にはこの奥にも何かありそうだったので
さらに進んでみました。


・姫路南ライオンズクラブさんが設置した案内板



・曲輪跡
 曲輪(くるわ)とは、城郭内にある一定区画を分かつ区域



・磐座
 磐座(いわくら)とは、古神道における、岩に対する信仰のこと。
 あるいは、信仰の対象となる岩そのもののこと



その先が、頂上のようだったので

 藪をかき分け進んだのですが・・・・




ここは行くべきではなかったみたいです。

もうちょっとで帰り道が分からなくなるところでした。(^^;;





第三回・広峰山に続く




▼オマケ

妻鹿城の帰りに前々から行ってみたかった
お好み焼きの「えのき」さんへ。



・いつも学生や近所の人で満員です。



・豚玉300円


妻鹿のソウルフードを味わうことができました。

  続きを読む


Posted by ほりほり at 09:02Comments(2)黒田官兵衛

御着城址

2013年04月09日

2014年大河ドラマでは
姫路出身の武将・黒田官兵衛を主人公にした
「軍師官兵衛」が放送されます。


そこで、官兵衛ゆかりの地を何回かに分けて
ご紹介したいと思います。


第一回目は御着城(ごちゃくじょう)址です。



御着城


御着城は西播磨の領主・小寺家のお城でした。

官兵衛は若い頃から
小寺家の家老としてその才能を発揮しました。



・お城風の建物は市役所東出張所・公民館。



・黒田官兵衛顕彰碑があります。



その一画には
祖父重隆と母いわを祀る廟所もあります。



・本丸跡の西側にあります。



・祖父重隆(左)と母明石(右)の五輪塔



・天川橋
姫路藩が文政11年(1828)に架橋した橋を今の場所に移設。
地形中央部の低いところは御着城の堀がありました。

(写真はありませんが)
市役所東出張所の東側のグランドは
二の丸跡だそうです。



小寺氏は官兵衛の進言もあり
当初は織田信長につきましたが

その後、毛利方に寝返ったため

羽柴秀吉の播磨侵攻により
御着城は天正7年(1579年)に落城しました。


国道2号線を南に渡ったところに
小寺一族を祀る小寺大明神があります。



・陸橋の旗が官兵衛ゆかりの地をアピールしています。



・小寺大明神。

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Posted by ほりほり at 06:36Comments(0)黒田官兵衛